自身の体験談「クローン病⑧」
前回の⑦から約2年も経ってしまいました。
早く、完結させなければと思いながら、もうこんなに経ってしまいました。
今、ちょうど大学3回生の潰瘍性大腸炎の男の子が来てくれていまして、この前、お盆前に薬が合わなくて1週間入院していたということを聞いて、そういや僕も君と同じ3回生の夏休みに2~3ヶ月入院していたよ、という話をしました。
彼のお陰で、当時のことを思い出し、続きを書かなければという気持ちになりました。
退院してから、1ヶ月実家で療養して、また学校生活に戻りました。
その当時は、不安な気持ちがすごく強かったことを覚えています。
まずは、食事をどうするか、あとは鼻からのエレンタール。
当時食べていたものは
〇ごはんやお餅、うどん(ネギ抜き)
〇食パン(りんごジャム)
〇野菜の煮炊き物
〇鶏肉は時々(社会人になっての時はよく鶏肉のすき焼きをしてくれました)
ごはんは毎回炊くと余るので、余ったのはタッパーやサランラップで冷凍して、レンジで解凍して食べていました。
エレンタールは鼻から4包、口から1包(400ml?)
食事もそうだったんですが、エレンタールをするのが当時は苦痛でした。
鼻からの4包は、1包300mlにするので、4包で計1,200ml(1.2L)
1,200mlを確か最初は1時間120mlのスピードで、専用の機械で落としていたので、単純計算で10時間かかっていました。
10時間かかるということは、7時に終わると計算したら、夜の21時スタートです。
結構な拘束時間です。
当時の僕は、まじめだったので、やらなきゃいけないとか、食べ物もそうですが、そうしなければいけないという意識が強かったので、それがもうストレスでしたし、これは今考えただけでも罰ゲームだなと感じます。
この10時間+口からは400mlを授業の合間に飲むということをしていました。
今でこそ、いろんな色の飲み物を見ますが、20年前は色付きの飲み物を飲んでいたのは僕ぐらいでした(^^;)
400mlもちょっとずつ飲むんですが、あまり進まず、気付いたら余っていて、持って帰って来ることもありました。
この口からの1包は、そんなに期間は長くなく、落とすスピードもちょっとずつ早めて150mlになり、1,500mlで10時間になりました。
そこから、1日5包が、4包に減ってくれて、それから2019年末までエレンタールとは付き合いました。
エレンタールとは、色々ありました。
まず歴代でも機械が2~3台は変っていると思います。
途中で、エラーが鳴ることもよくありましたし、寝ていたら、チューブと管のつなぎ目が外れてお布団がべたべたになることもありましたし(しかも朝気付いたり)、作って移動する時にばしゃーんとこぼして、滑りそうになることもありました。
あと、あるあるなのですが、これは栄養成分が入っているので、こぼすとネチャネチャしてやっかいです。
気付けば、一滴も落とさないように気を付けている自分がいました。
ただ帰ってくる時間も違えば、しんどい時もあり、こぼす時もありました。
それと、これは必ずなのですが、朝に使ったバッグとチューブを洗わないといけません。
バッグは中にお湯を入れてシャカシャカ、チューブは注射器の針がないのでチューと押して、毎回洗います。
毎回捨てたいのですが、毎回捨てると足らなくなります。
確か、病院で1回にもらえるのが、バッグは10個、チューブは8本だったと思います。
これを僕らは、計算しながら、使います。
僕は、できるだけストックして、どこかに行く時はそのまま捨てるとか、いついつ捨てるとかを決めていました。
当たり前ですが、捨てる日の朝はやはり楽ちんです。
エレンタールは、こんな感じでずっとしていました。
最初は、まじめ一辺倒でしたが、気付いたら、遅くなったらしないこともありましたし、ただほぼ毎日やっていました。
僕の中で大きかったのは、やはり口から飲まなくなったことです◎
最初は何にしようかなと思っていたフレーバーも、最後の方は全くでしたから。
あと、食事も最初はむちゃくちゃまじめでした。
入院中にもらった表を見て、食べて良い物、あまり良くない物、ダメな物と守っていました。
これは、退院して、一人暮らしの生活に戻り、久しぶりにスーパーに行った時に感じたことなんですが、以前はあんなに何買おうかなと思っていた食品売り場が、退院後行ったら、何を買ったらいいか分からんという感覚になり、あっ、ここにはもう僕の居場所はないんだとなってしまいました。
今考えたらそんなことないんですが、当時は本当にまじめだったし、最初は本当に手探りでした。
食事も、エレンタール同様、どんどんどんどん、アバウトになっていきました。
ちなみに最初は、うどんのネギ抜きを食べていたぐらいです。
きつねさんなんて、もっての他です。
食べていたのは、上の内容に、当時はよく和菓子を食べていました。
覚えているのは、ようかんや最中です。
ようかんは本当によく食べていたので、途中嫌いになるぐらい本当に食べていました。
それが、気付けば、和ではなくなり、今は洋でも、何でも食べています。
あと、食事の話で思い出しました。
ジンギスカンです。
4回生の時に、卒業旅行で北海道に行ったのですが、僕だけジンギスカンを食べずに、その間、街をぶらぶらするっていうこともありました。
本当にあれは情けなかったし、その当時は何とも言えない気持ちでした。
当時の僕は結構いじけていました。
ただそれから10何年後、結婚してからジンギスカンを食べることになり、さすがにこの当時のことを話しました。
今では焼肉も食べますし、揚げ物は本当に1切れぐらいですが、食べたりもします。
ただやはり、次の日は緩くなったり、下痢になります。
あと、下痢で思い出しました。
退院後、一度こんなことをしてみました。
牛乳を飲んでみたんですが、恐る恐る少し飲んだら、すぐに真下に流れる感覚になり、トイレに直行したこともありました。
そのまま、お尻からシャーでした。
その時に、入院前と退院後の体が全く別物なんだなと感じました。
正確にいえば、高校生から発症しているので、同じ体ですし、小さい時から体質自体は変わってないのですが、退院後は一番敏感になっていたと思います。
ですので、今思えば、退院後に慎重になって良かったと思いますし、最初に白粥の3分、5分、7分、全粥のように、ちょっとずつ慣らかして良かったと感じます。
ですので、ジンギスカンは食べなくて正解でした。
今のような食事をしていたら、完全にアウトだなと思います。
それと、肝腎の授業です。
夏休みを丸々入院に使えて、あと1ヶ月の療養期間もありましたが、一人一人の教授に事情を話し、周りからノートを借りたりして、乗り切れました。
こんな感じで、少しずつ元の生活に戻っていきました。
それとこの後、待ち受けていたのが、就職活動です。
就職活動は本当に難儀しました。