自身の体験談「クローン病②」

2022年11月28日

自身の体験談「クローン病②」

クローン病について

入院初日、よく寝れたような寝れなかったような、全く整理ができない、そんな気持ちでした。

この日も遠いところ両親や祖父母が来てくれて、家庭の医学を母が持って来てくれていました。その時は自分のことしか考えれなかったですが、この時の両親や祖父母には本当に心配をかけたなと後になって、すごく思います。今は僕自身にも子供ができて、親の有り難さが、より染みて分かり、あの時、仕事が終わってから飛んで来てくれて、その帰りだっり、次の日の朝どんな気持ちだったのかと思うと、本当に辛かっただろうなと胸が痛いです。それと、こんなに家族の存在が有り難く感じたこともなかったです。

前日に家族が先生から色々聞いていたので、それもすごく伝わっていました。それは看護師さんからも同じでした。

当時、2005年で確かクローン病の患者数は2万人弱だったと思います。特に欧米に多い疾患で10代中頃から20代の男性に多いと記載されていました。正直、2万人と聞いても、多いのかも少ないのかもピンときませんでした。現在は令和元年で約4万4千人となっているので、あれから年々増えてきているんだなと感じています。

原因は不明で遺伝だったり、その他に加古川周辺に多いことから水が原因ではないかとも後に転院する兵庫医大で言われていました。

その当時はまだ今ほど、多くなかったどころか、どこでも治療や薬をもらえる感じではありませんでした。プラス情報も多くなく、今とは全く違いました。

ちなみに僕は最初、家庭の医学を読んだんですが、いまいち説明とは違い、ピンときませんでした。分かっていることは、今までどおり食事ができないということでした。

食べることが好きな、まだまだ食べ盛りの僕にとっては本当に嫌な病気で、頼むから違ってくれと、ずっと願っていました。

色々葛藤や不安があり、約1週間が経ちました。その間、僕はずっと絶食で腕から点滴で栄養を送ってもらっていました。ただ腕の血管から栄養を送るのは1週間程が限界で(2週間だったら、すみません)、もっと太い血管にしないといけないということで、中心静脈栄養(IVH)という、右鎖骨の下に麻酔をして、静脈に繋ぐ処置をしてもらいました。この時に抜けないように縫ってもらった後は今でもしっかり残っています。これは僕の頑張った耐えた勲章みたいなもので、今ではほとんど気にならなくなりましたが、社会復帰した時にはよく傷を見ては、これに耐えたんだから絶対大丈夫と自分に言い聞かせていました。ちなみにこの時に処置をしてもらった先生に、池田君は骨太だねと生まれて初めて言われました。その時は色々あって、素直に嬉しくありませんでしたが、身体が細い自分が骨太って、骨と身体の太さは比例しないんだなと思いました。それから10年程して、地元の歯医者さんに矯正をお願いするのですが、やはり骨太みたいで、通常よりも長く時間がかかりました。それと、後に転院する兵庫医大では中心静脈栄養(IVH)は首のところから繋がれていて、僕は鎖骨の下なので、本来は首なんだなと後で知りました。

中心静脈栄養(IVH)をしてもらった後、夏休みの旅行を約束していた友達らが、当日の朝に見舞いに来てくれました。最初、僕を見て、えっ、どこから繋がってるのと聞かれ、鎖骨の下からと言うと、えっ、マジで?とみんなに言われました。正直、夏休みの始めに楽しみにしていたので、羨ましかったですし、これから僕はどうなるのか全く分からないのに対して、みんながキラキラ輝いているように見えました。

鎖骨下から繋がった僕は、これから大腸内視鏡と小腸造影、胃カメラをすることになります。その中でも大腸内視鏡は拷問で、カメラを入れる時、そしてバリウムに似た液体や空気を入れた時のお腹のあの張る感じ、終わってからすぐにトイレに駆け込み、しばらく放心状態でした。今まで味わったことのない感覚で動けず、しばらく下から白い液体が出続けました。

次に小腸造影は鼻から管を入れる検査で鼻に麻酔のゼリーを入れて、管を入れるのですが管も太く、喉を通る時にえずき、また小腸まで送り、白い液体と空気を入れられお腹が張り、これも大腸内視鏡に続き、拷問でした。

次は胃カメラ。胃カメラといえば、大人がするもの、人間ドッグでするものだと思っていました。まさか、この年でするなんて想像もしていませんでした。胃カメラは最初の麻酔の液体を口に含んで数分待つ時点で、飲み込みそうになりダメでした。それから口から入れて喉を通る時のあのえずく感覚、カメラと管が太いやろと思いながらひたすら耐えました。

この3つの検査はクローン病を診断する時に受ける検査で、この後も数回、1年に1回は特定疾患の更新の時に3つのうちのどれか1つをしないといけないので受けることになります。正直、このサービスは僕にとっては罰ゲームです。嫌な順番的には①大腸内視鏡②胃カメラ③小腸造影です。後の兵庫医大で鼻からの胃カメラをするのですが、鼻からはえずくのもましな分、口からよりも時間がかかり、これはこれでしんどかったです。小腸造影は兵庫医大でした時に初回よりもましに感じ、これから僕は毎年、小腸造影をすることになります。大腸内視鏡は絶食でした時は何も飲まなかったのですが、通常は夜寝る前と起床後の下剤に朝から約2時間?程かけて、お腹を空にする粉末が入った袋に1.5ℓか2ℓになるように水を入れて少しずつ飲む作業が本当に嫌で、毎年断り続けました。本当にしないといけないと言われた時だけ渋々やりました。

話を本題に戻して、この3つの検査を順にする度に先生が病室に来て、所見があったと言われ、また次に来ては言われ、ついにリーチがかかり、最後もやはり所見があり、病気が確定し、その次の日か忘れましたが、家族に来てもらい診断を受けました。正直、元々疑いがあると言われていましたが、高校時代に※痔瘻(じろう)で手術をしていたことや、その当時から吐き気、微熱、体重減少があったことや、先生や看護師さんの反応を見て、薄々はそうなんだと感じていました。ただ心のどこかで、そうじゃないかもしれないという期待は持っていました。※肛門周囲に膿が溜まる症状でクローン病の初期症状

あと、診断を受けた時の話し合いで、両親がやっている飲食店のお客さんから兵庫医大がクローン病の治療で有名だということを聞いたと先生に話してくれて、先生のお子さんがもし同じ病気ならどうしますか?と質問した時に先生は、少しでも良い治療をしてもらえるところを私だったら選びますと言われ、その何週間後かに転院することになります。その時はその転院することは頭に入ってこず、ただ自分は難病なんだと治らないんだというショックの方が大きかったです。

今振り返ると、この時が一番精神的に辛かったです。友達や親から小説を持って来てもらい、一番仲の良かった友達からはMDウォークマンを借りて、一人ずっと音楽を聴きながら本を毎日ひたすら読んでいました。今思えば実用書が良かったと思うのですが、持って来てもらうのはフィクションの小説でした。ある患者さんからはSFの戦艦ものを何冊か借りて読んだ記憶もあります。その時は音楽を聴く、本を読むというのが僕にとっては唯一の現実逃避でした。

それと夜によく祖母と公衆電話で話しましたし、その階にマリア像があり、よくそこで毎晩、早く退院できるようにと手を合わせていたことを覚えています。僕が入院していたのは姫路の聖マリア病院というところで、土日の診療外に1階に行っては奥の待合の場所で一人本を読んでいました。僕にとってはすごく落ち着く空間でした。

そして、これから本格的な治療が始まります。

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